中野から京都まで その1~大徳寺

2011年2月15日

京都神社探訪の初日は、おみくじ落とすやら地理不案内で歩き疲れるやらで大変だったので、二日目は事前リサーチを入念に行い朝9時にホテルを出発。京都市営地下鉄・京都市営バスなどが一日乗り放題の京都観光一日乗車券(1200円※京都の交通機関は東京に較べて高いのでお得です)を購入し、地下鉄から市バス経由で大徳寺を目指しました。大徳寺前という親切なバス停で降りると広大な敷地が見えます。

SN3I0822SN3I0821

門前には、朝早いにも関わらず、大徳寺納豆なる納豆を販売しているお店が軒を連ね、すでに開店していました。この大徳寺納豆は、納豆ではあるが、一般的な納豆のような「粘り気があり、糸を引くような納豆」とは異なるらしく、風味は味噌やに近いらしい。少し興味が湧きましたが、そのまま境内に入ることに。大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山で京都でも有数の規模の禅宗寺院で、境内には仏殿・法堂(はっとう)を始めとする伽藍の他、20を超える塔頭(たっちゅう※本山寺院の境内周辺にある関連寺院)が立ち並び、近世の雰囲気を残しています。大徳寺は歴代多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院です。境内を散策していると「総見院」という塔頭寺院が見えてきました。この総見院は、豊臣秀吉が織田信長の菩提のために建立したものだそうで、早速中を見学しようと思いましたが、あいにくこの日は、午後から拝観が可能との張り紙が。しかし、京都観光タクシーを利用した方がタクシーの運転手とともに中に入っていくのを発見。こそっと一緒に着いていきました。

SN3I0823

観光タクシーの運転手は、入り口に「今日の拝観は、午後12時30分からとなります。」の張り紙もお構いなしに中へと入っていきます。そして、驚いたことに中の方に声を掛けているではありませんか。運転手「今日休みなの?」、中の女性「今日は法事やから午後からの拝観になります」との返事。運転手「なら、しゃーないなァ」。えッ法事!この言葉にびっくり。何とこの総見院には、檀家さんもいて葬儀や法事などを執り行っているようなのです。さらに、よく中を見ると普通の民家があります。洗濯機が表にあり、ここ総見院の中で生活している様子がわかります。奈良の古いお寺には檀家さんはいませんが、ここ京都では、檀家さんがいらっしゃって、いまでも歴史的に貴重な(中には、重要文化財も多数あり)お寺で暮らしているなど想像もしていませんでした。拝観料をとって、自宅(お寺)を観光に訪れた人に見学させいることになります。これには、驚き以外の何物でもありませんでした。当然、ここ総見院には、織田信長公を供養するお墓もあるようでした。京都恐るべし。

 

 

 

 

なのに、あなたは京都にいくの!?その4~東本願寺

2011年2月14日

重くなった足を引きずり、ホテルの部屋に戻ったのが、午後3時過ぎ。休憩と思っていたら、思わず一時間のお昼寝になってしまいました。折角京都に来たのだから、太陽が沈むまでにどこかへと地図を広げると「東本願寺」が目に飛び込んできました。確か今年は、親鸞聖人七百五十回御遠忌のはず、と疲れた足に鞭打って東本願寺へ出かけました。

SN3I0820

山門を入ると目に飛び込んできたのは「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌厳修」まであと36日の看板。

看板

本堂は、改修工事が急ピッチで進められており、高所作業車が飛び交っていました。

SN3I0818SN3I0816

東本願寺のHPによると、

御遠忌(ごえんき)とは、もともと、50年ごとにお勤めされる宗祖の回忌法要のことです。東本願寺では、宗祖親鸞聖人に加え、特に近年から、中興の祖とされる第八代・蓮如上人の法要を御遠忌としてお勤めしてまいりました。これら御遠忌を節目として、宗祖の教えや先達の願いに立ち返り、いま一度自らの生き方、生活の有様を見つめなおし、あらためて本願念仏の教えを受けとめるあゆみをすすめてまいりました。特に、このたびは、「宗祖としての親鸞聖人に遇う」ということを基本理念に掲げ、様々な取り組みを進めてきています。と記載されています。

東本願寺は、浄土真宗「真宗大谷派」の本山で「真宗本廟」といい、御影堂には宗祖・親鸞聖人の御真影を、阿弥陀堂にはご本尊の阿弥陀如来を安置しています。宗祖親鸞聖人の亡き後、聖人を慕う多くの人々によって聖人の墳墓の地に御真影を安置する廟堂が建てられました。これが東本願寺の始まりです。私は、この東本願寺が今日一日の終わりとなりました。

なのに、あなたは京都にいくの!?その3~晴明神社何故か再び御金神社

2011年2月14日

御金神社を出た時は、11時45分。晴明神社まではと地図を見たところ、私の足で20分位かなと思い、昼食を後回しにじて、歩き始めました。二条城を左に見て、堀川通りをひたすら歩けば簡単と思っていましたが、この通りは、晴明神社の方向に、緩やかですが上り坂になっていたのです。

晴明神社に掲載されていた地図

八坂神社でお餅を食べたとはいえ、この歩きはちょっと堪えました。腹は減るし・・・・。寒さも忘れるウォーキングのすえに、12時15分、やっと到着しました「晴明神社」。

晴明神社鳥居晴明神社本殿

この晴明神社は、ご存知のように陰陽師・安部晴明公をご祭神としています。

晴明神社は晴明公の屋敷跡であり、天文陰陽博士として活躍していた拠点であった場所です。晴明公が亡くなられた後、一条天皇は晴明公の遺業は非常に尊いものであったこと、そして、晴明公は稲荷大神の生まれ変わりであるということで寛弘4年(西暦1007年)、その御霊を鎮めるために晴明神社を創建されたのです。古い資料によれば東は堀川、西は黒門、北は元誓願寺、南は中立売という広大な地域が神社の土地であったとされています。ところが、応仁の乱の後豊臣秀吉の都造り、度々の戦火によってその規模は縮少。 そして、古書、宝物なども散逸し、社殿も荒れたままの時代が続きました。 そこで、地元の氏子が中心となり各式年祭、つまり、嘉永6年、明治11年、明治36年、昭和3年に整備改修が行われました。また、昭和25年には多年の宿望であった堀川通に面する境内地を拡張するなど御神徳を仰ぎ尊ぶ崇敬者の真心によって復興が進められました。 また、近年は一大ブームが巻き起こり、文芸、漫画、映画などを通じて晴明公の存在は広く知られ、全国にその崇敬者を集めるようになりました。そして、平成15年に晴明神社御鎮座壱千年祭を斎行し社殿の修造と社務所の新築、境内整備が完成しました。(晴明神社HPより抜粋)

安部晴明公厄除け桃

安部晴明公の像が本殿に向かって左手に、右手には「厄除桃」があります。

古来中国、また陰陽道でも、桃は魔除、厄除けの果物と言われております。古事記、日本書紀などでも魔物を追い払う様が描かれています。皆さんもよくご存じの昔話で「桃太郎」もこれに由来するものです。鬼を退治できたのも桃から生まれた桃太郎だったからでしょう。誰にでも自身の厄やまがまがしいものがあります。それをこの桃に撫で付けて清々しい気持ちになってください。(晴明神社HPより抜粋)とのことですので、私もこの厄除桃を撫でてきました。

晴明井

晴明公が念力により湧出させた井戸がこの晴明井です。病気平癒の信仰があり、湧き出す水は現在でも飲んで頂いて結構です。水の湧きでるところに注目すると、その歳の恵方を向いており吉祥の水が得られます。恵方は毎年変わり、立春の日にその向きを変えます。豊臣秀吉が晴明神社の南方に聚楽第(じゅらくだい)を建てた頃にはこの場所が千利休の屋敷でした。また、利休終焉の地で、このあたりで自害したといわれています。(晴明神社HPより抜粋)

参拝を済ませ、遥拝礼(ようはいふだ)という、「晴明公の力にすがりたい、落ち着きが保てない」そんな時に神社にお参りしたくてもできない方の為に、遥か遠方からでもカードを通して神前を拝むことができる御札を購入し、

遥拝礼

さて、ちょっと疲れたから近くの地下鉄に乗って京都駅に戻ってから昼食をと思い、ダウンコートのポケットに手を入れると、『無い、無い、無い~!他のポケットを探ってみても、無い~。』御金神社で折角ひいたおみくじが無い!そう、地図を出し入れした時に、大切なおみくじを落としてしまったのでした。落胆したのは言うまでもありませんが、これからどうしようかと思案して出した結論は、来た道をおみくじを探しながら戻るという、腹が減った体には辛い結論でした。晴明神社から御金神社まで下を向きながら戻る道は緩やかに下っていますが、寒さもあって足が進みません。しかもおみくじは紙製なので、どこかに飛んでいってしまったのでしょう、見当たりませんでした。二条城の過ぎて、今度は左折です。左折の先には、ラーメン屋がありました。その名は「七福神」。

七福神

空腹と疲労にこの七福神は有難かった。店内に入ってすぐに、メニューにあった七福神ラーメンを注文。3分ほどで、空腹を満たすことができました。(ホッ)空腹が満たされると、やはり気になるのは御金神社のおみくじ。再度ポケットというポケットを全部探りましたが、無いものは無い。よって今日二度目の御金神社参拝と相成りました。おみくじは300円の志納でしたが、疲労度は100%。今度は引いたおみくじをすぐに財布へと仕舞い、ホテルで休憩すべく地下鉄に乗りました。

 

 

なのに、あなたは京都にいくの!?その2~御金神社

2011年2月14日

八坂神社を出たところから、苦難の道が始まりました。地理に不案内とはいえ、京都は碁盤の目のように道が走っているから大丈夫、と思ったのが失敗でした。地図を片手に目指したのは、「御金(みかね)神社」。川原町から烏丸通りを右折・・・・御池通り沿いの細い路を右折と思いながら歩きました。が、結構遠い。でも、歩けば必ず着く。・・・・八坂神社から約30分歩いて到着しました。そこには、なんと!燦然と黄金に輝く鳥居が表れました。

SN3I0806

御金神社のご祭神は金山彦神(かなやまひこのみこと)です。金山彦神は、古事記や日本書記に登場する神で、鉱山を司どり、また荒金を採る神とされ信仰されています。

SN3I0807

現在では、お金を祭る神社として、資産運用や証券取引等の成功を願ったり、競馬競輪などでの勝利や、宝くじ等の当選を願う絵馬が大量に奉納され、人々から信仰されているようです。「天照大神」と「月読神」も祭神であるところや、「金神」に関わる、建築、転宅、方位、厄除け等の神としても信仰されています。奉納されている絵馬を見ると、人間の願望、欲望がズラリ。「宝くじ当選させてください」や「競馬で万馬券を当てさせてください」やストレートに「大金が舞い込みますように」などお金に関することばかりが絵馬に書かれていました。私も御金神社のご利益にあやかりたいと、「おたから小判」を志納。

おみくじも購入し無事に御金神社への参拝を済ませました。

SN3I0808

さあ、次は晴明神社に行こう!

ここから、不幸が始まりました。

なのに、あなたは京都にいくの!?その1~八坂神社

2011年2月14日

2月11日三連休の初日でした。奈良好きの私が突然京都に行こうと思い、行ってきました。

東京も雪が降っていましたが、京都も雪です。底冷えのする京都でしたが、歩けば暖かくなるものです。

ジンジャスキーの私としては、京都のお寺ではなく、神社を巡ってみた「あるいてネット・京都」です。

地理に不案内の身としては、とりあえず観光ガイドに従い、京都地下鉄一日乗車券を購入し、第一の神社を目指しました。

八坂神社

八坂神社

やってきたのは、「八坂神社」。

八坂神社は、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)、クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)、 ヤハシラノミコガミ(八柱 御子神)を祀ります。日本神話でも知られるように、スサノヲノミコトは、ヤマタノオロチ(八岐大蛇=あらゆる災厄)を退治し、クシイナダヒメノミコトを救って、地上に幸いをもたらした偉大な神さまです。

八坂神社の歴史は、社伝によれば平安建都の約150年前の斉明天皇2年(656)と伝えられています。都の発展とともに、日本各地から広く崇敬を集め、現在も約3千の分社が日本各地にあります。八坂神社はながらく、「祇園社」「感神院」などと称しましたが、明治維新の神仏分離にともなって、「八坂神社」と改称しました。(※八坂神社HPより抜粋)

八坂神社本殿

八坂神社本殿

参拝を済ますと、なにやら子供の声がします。「お餅食べていってください。」この日八坂神社では、振る舞い餅が行われており、つきたてのお餅にきなこをまぶしてあり、それを元気のいいカブスカウトの少年が拝観の方々に配っていました。ビニール袋に4個入ったお餅を早速食し、小腹が満たされたところで、八坂神社をあとにしました。

中野マルイオープン!

2011年1月28日

1月28日(金)中野駅南口に「中野マルイ」がオープンしました。

SN3I0798

地下一階には、中野区民待望の高質のスーパー「ピーコックストア」が

オープンしましたが、あまりの人気のために、入場までに20分待ちの

状態。

SN3I0800

店舗西側の2階部分(裏手)には、里山や菜園スペース、水辺環境を

取り入れた「ビオトーブ」があり、鳥や昆虫との共生できる場所として

開放されています。春には、ミツバチの飼育を始める予定だとか。

SN3I0803SN3I0802

※ビオトーブとは、特定の生物群落が存在できるように、特定の環境

  条件を整えた空間のこと。

あけましておめでとうございます!

2011年1月7日

本年もよろしくお願いいたします。

そして、、、おせち、食べましたよー!

(小)おせち~2011-01-01 12.00.19

編集長のブログの「知ってますか?おせち料理」おもしろかったですね~。

知ってるようで知らないです。

ちなみに、写真は1日に私が食べた「おせち」です。

私が作ったのは、写真のどの部分かは、ご想像にお任せしますけど・・・。

まだ、少し残ってるんですよね・・・おせち。

残りません?おせちって。煮豆とか、酢だこ、数の子も2つくらい、ずっと残ったりして。

あとお煮しめは当然、残りますよね、もう一回煮直したりする人もいるみたいだし。

去年は、お正月休み明けに「弁当」に詰めて会社に持って行きました。

いつまで夕飯にあがるのか笑・・・。※また内容の無い書き込みをしました、編集長、すみませーん。

謹賀新年

2011年1月5日

皆様 明けましておめでとうございます。

本年も、あるいてネットをよろしくお願い申し上げます。

さて、本年も年末年始に奈良・京都へ小旅行に行って来ました。

あいにくと、年末は雪に見舞われ、大変寒い日となりましたが、

年が明けると、太陽が顔を出し積もった雪が溶けて神社・お寺

の境内はドロドロで歩きにくいことこの上なく、参拝する人々の足元は

ブーツでした。年末は、春日大社。年始は、昨年同様日本最古の神社

大神神社(三輪明神)に参拝をしてきました。

SN3I0789

そして、その足で、京都伏見に赴き、勝運・学問と馬の神様、

藤森(ふじのもり)神社に今年の勝運を願い参拝をいたしました。

SN3I0790

朝早くホテルを出たにもかかわらず、両神社は、参拝客でいっぱい。

本殿にたどり着くのに、30分以上という混雑ぶりでした。

午後遅くなってしまいましたが、京都伏見から奈良に戻り、法相宗

大本山薬師寺に行って、「薬師瑠璃光如来・日光菩薩・月光菩薩」

の薬師三尊像に参拝いたしました。お正月にもかかわらず、薬師寺

の僧侶の方々は、参拝の人々に薬師三尊像の説明をしていらっしゃ

いました。

SN3I0791

駆け足で参拝した大神神社・藤森神社・薬師寺でしたが、

やはり年頭の参拝は気持ちがいい。清々しい気持ちで東京

に帰ってきました。

あるいてネット、今年は様々なジャンルに挑戦します。

見て、聞いて、嗅いで、触って、味わって、歩いて、

五感を楽しみながら健康になりましょう!

師走の風景

2010年12月28日

■師走とは?

 なぜ12月のこを師走と言うのでしょうか。

 諸説あるようですが、一番有力なのが、僧侶(師は、僧侶の意)が

 仏事で走り回る忙しさからという平安時代からの説があるようです。

 また、師走とは「としはつるつき」や「としはするつき」がなまったと

 いう説(これは歳が果てる、年が終る月という意味)もあります。

 JR中野駅周辺には、師走の風景が見られます。

 まずは、中野といったら、「中野ブロードウエイ」。

 SN3I0779

 入り口には、見事な門松が飾られていました。

 「中野ブロードウエイ」を過ぎて、新井天神/北野神社に向かうと

 鳥居の両側には、正月飾が施されていました。

 SN3I0780

 新井天神・北野天神は、学問の神様である菅原道真をご祭神とする

 北野天満宮が総本社ですので、受験生が合格を祈願する絵馬が奉

 納されています。師走の風景は、一年前に奉納された合格祈願の

 絵馬を、新年、新たに合格祈願をする人のために、絵馬を奉納でき

 るよう、絵馬掛け所から絵馬を外す作業をしているところです。

 SN3I0782

 合格した人の絵馬も、不合格だった人の絵馬も一緒に

 神様の御加護に感謝と御礼の気持ちを込めてお焚き上げ

 (寺院なら焼納依頼)として納められることでしょう。

 そのまま真言宗豊山派梅照院/新井薬師に足を伸ばして

 みると、師走らしい風景が飛び込んできました。

 SN3I0783SN3I0784

 SN3I0785

 境内には、来年のカレンダーを売る露店や、正月飾りを売る露店

 包丁・まな板やお餅を売っている露店が出ていました。

 SN3I0786SN3I0787
 本堂もお正月の飾りつけが終わり、後は、除夜の鐘をつく人々を待つ

 ばかりのようです。真言宗豊山派梅照院/新井薬師では、先着順

 (24:00~26:00頃まで) で、108人目までは、お守り付きで500円、

 で除夜の鐘をつくことができます。※108人目以降は、志納となります。

 本堂の脇には、プレハブが建っていました。おそらく御札やお守りなど

 授与品・ご祈祷品を授与する簡易販売所だと思います。

 このように、ちょっと歩いてみただけで師走の風景が目に飛び込んで

 きます。師走も歩きましょう!

 師走とかけまして、「NHKのど自慢」とときます。

 そのこころは、「最後に鐘(梵鐘)が響きます。」

 

 

 

 

知ってますか?おせち料理。

2010年12月28日

■おせち料理の成り立ち

おせち料理の「おせち」とは、「節会(せちえ)」「御節句(おせっく)」の略です。語源のルーツは、平安時代の宮廷行事に遡ります。年始め(1月7日)、桃の節句(3月3日)、端午の節句(5月5日)、七夕(7月7日)、菊の節句(9月9日)の五節句、季節の節目に食される料理のことであり、また、神様に供える料理全てをおせち料理としていました。今日おせち料理と呼ばれているのは、お正月料理のことだけです。この習慣は、江戸時代後半から始まったと言われています。神様にお供えし、そのおさがりを料理としていただくと考えられていたおせち料理は、神様が家にいらっしゃるお正月の三が日は、火を使わない、すなわち炊事をしない、台所に入らないという風習から、日持ちのする料理を年末に沢山作って置き、それを食べるということが習慣になったと言われています。現代では、忙しい主婦や主夫が、お正月くらいは、ゆっくりしたいという意味もあるようです。

 

■おせち料理の献立の意味

・紅白の蒲鉾

 蒲鉾は、「日の出」を象徴している料理です。紅は、めでたさと慶びを、

 白は、神聖さを表しています。

・伊達巻

 伊達巻は、江戸時代に長崎から伝わった料理です。「カステラ蒲鉾」と

 呼ばれ、伊達者(おしゃれな人)が着ていた着物に似ていたからという

 説や伊達政宗が好きだったからという説があります。

 見た目が華やかなことや、巻物(書物)に似た形から、知識を増やす

 という縁起物です。受験生にいいかもしれませんね。

・栗きんとん

 黄金色に輝いている財宝に例え、豊かな1年を願う料理です。

 栗は、山の幸の代表です。「勝ち栗」といって、縁起が良いとされ、

 喜ばれています。また、「金団」とも記しますので、財産・富をを得る

 縁起物です。

・黒豆

 「まめ」は、元来丈夫・健康を意味しています。「まめに働く」などの語呂

 合わせなどのように、元気で働けるように祈る、お正月には欠かせない

 料理のひとつです。

・昆布巻き

 昆布は、「喜ぶ」の語呂合わせですが、お正月の鏡飾りにも用いられて

 いるように、一家発展の縁起物として尊ばれています。

・田作り(ゴマメ)

 五穀豊穣を願い、田に小魚を肥料として撒いたのが田作りです。片口

 鰯の小魚(ゴマメ)を使ったこの料理は、小さくても尾頭付きなので、お

 祝いの料理です。

・数の子

 数の子は、鰊の卵です。二親(両親)から、たくさんの子が生れるので

 お正月らしいおめでたい一品です。

 子孫繁栄の願いが込められています。

・海老

 海老は、髭が長いことから長寿の象徴と言われます。

 海老を使った料理は、健康で長生きをすることを願っています。

 また、海老の赤い色は、魔除の色とも言われています。

・鯛

 鯛は、めでたいに通じることから、古来から縁起の良いものとされて

 います。

・鰤

 鰤(ぶり)は出世魚であることから、出世を祈願しています。

・煮しめ

 里芋・・・・小芋が沢山ついていることから、子宝を祈願します。

 蓮根・・・・穴の開いた蓮根は、先が見通せるようにと将来の発展を

       祈願します。

 慈姑・・・・慈姑(くわい)は、大きな芽があります。よって出世を祈願

       します。

 牛蒡・・・・牛蒡(ごぼう)は、しっかりと根を張っています。

       地に足をつけて生活できるように、家内安全を祈願します。

・紅白なます

 紅白なますは、お祝いの水引をかたどったものです。生酢とも書きま

 すが、なますに酢が使われるようになったのは、室町時代以降と言わ

 れています。紅白の組合せは、平和を願っています。