中野から京都まで その5~賀茂別雷神社(上賀茂神社)

2011年2月16日 水曜日 | カテゴリー:Blog
投稿者:ワインズマン
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京都観光は、京都観光一日乗車券が便利です。(バスも地下鉄も乗れて1200円です)建勲神社から上賀茂神社へのルートをバス停で確認すると、出町柳まで行って上賀茂神社行きに乗り換えるのがいいようです。出町柳は、京阪電鉄の駅で、下賀茂神社の最寄り駅です。地図で確認すると下賀茂神社から上賀茂神社までは、建勲神社で階段登りをした身体で歩ける距離ではありません。よって、バスで移動。12時30分を少し回っていましたが、昼食を後回しにしてバスに揺られ上賀茂神社を目指します。出町柳までは、渋滞もなくバスは進みました。ここで乗り換えですが、上賀茂神社行きは13時30分までありません。ここで約30分待ちです。昼食をどこかでと思いましたが、地理不案内の私にとってお店を探すのが難しい。仕方なくバス停で上賀茂神社行きのバスを待ちます。バス停で立っていると、観光客の人が、「大原行きは、このバス停でいいですか?」などと私に聞いてきます。「私は、東京中野区から来たので、わかりません。」と堂々と答えておきました。約30分待って、ようやく上賀茂神社行きのバスに乗車。ところがこのバス、上賀茂神社に行くまで、右に左に曲がります。上賀茂神社到着は、何と14時15分頃となってしまいました。すぐに昼食をと思い入ったお店が、「みそぎ茶屋」。良い響きです。昼食食べて、みそぎです。ちなみに昼食は、玉子丼でした。

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みそぎを済ませて、一の鳥居をくぐります。一の鳥居から約30メートルほどで二の鳥居です。

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二の鳥居の右手に「第四十二回式年遷宮(しきねんせんぐう)」と書いてある大きな石塔があります。式年遷宮とは、本殿が従前とは異なる境内に新築移転したり、同じ境内で別の位置に新築移転したりする際のほか、本殿の修理や新築の際に一時的に神体を移動する場合にも遷宮といいます。大抵は祭礼を伴っています。このような定期的な遷宮を式年遷宮と言い、この「式年」とは「定められた年」という意味で、単に「式年遷宮」という時、伊勢神宮の「神宮式年遷宮」を指すようです。上賀茂神社は、正式には「賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)」といい、平安京の守り神として、平安時代以前より京都・洛北に鎮座している我が国最古の神社の一つです。式年遷宮の制度が、ここ上賀茂神社にもあるとは知りませんでした。式年遷宮は、遥か壱千年の昔より神社の社殿等を永遠に保つシステムを構築された先人の叡智です。先人から受け継いでいる国宝・重要文化財建造物並びに平安時代から続く諸祭事といった我が国の伝統文化を後世に継承する使命を全う出来るのも、式年遷宮という制度があるからでしょう。二の鳥居をくぐると、境内のあちらこちらにシートが架けられ、社殿等の修復の最中でした。本殿に行く際に通る橋も修復中です。

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よって、一旦戻って本殿前の狭い道を通って中に入ります。本殿の中も各所にシートが架けられているため、中がよく見えません。参拝を済ませて帰路につきます。帰路は、当然バスです。京都駅行きに乗るのが良かったのでしょうが、先に来た祇園行きのバスに乗り込みました。今度はあまり左右に曲がらずに祇園方面に向かっているようです。ふと、窓から外を見ると、午前中に参拝した今宮神社が右手に見えてきました。ふう~ん、こんなルートで祇園に着くのか、と思っていると、またしてもバスは、左に曲がり、右に曲がります。どうも京都は、碁盤の目のように道が整備されていますので、真直ぐ目的地には行かないようです。道も渋滞し始め、バスの車内も混雑してきました。とうとう川原町付近では、バスは少しづつしか動かなくなってしまったので、川原町の手前で下車、烏丸御池駅で京都地下鉄に乗り、ホテルに戻りました。この日も脹脛は、建勲神社の階段登りでパンパン。ホテルにもどるとすぐに、サウナ風呂に入り、ゆっくり風呂に浸かって終了。夜の京都観光はできませんでした。よって京都の恋は、・・・・ありませんでした。

中野から京都まで、神社を追って、今日も疲れ一人寝る。

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