名所・旧跡

あぶまた味噌の大釜

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【あぶたま味噌ホームページ】http://abumata.com/home/

現地の様子

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秋津子育地蔵尊

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現地の様子

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石森製粉所の大石臼

川嶋地蔵尊

向台子育て地蔵尊

宝仙寺三重塔跡

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歴史

三重塔が最初に建立されたのは江戸初期の寛永13年(1636)といわれており、宝仙寺のホームページによると『江戸庶民にも親しまれ歴代将軍の尊崇もあつく御鷹狩りの休憩所としても有名でした。』とのことです。
残されている史料によると、高さ24m、屋根は檜皮葺、池上本門寺五重塔・上野寛永寺五重塔とならんで江戸時代初期の典型的な建造物であり、江戸近郊で唯一の三重塔だったようです。

昭和20年5月25日の大空襲で焼失し、平成4年の興教大師八百五十年遠忌記念としてにこの場所から200メートルほど離れた宝仙寺の現在の境内に再建されました。
この塔は焼失した塔とほぼ同じ高さのようですが、『TOKYO TEMPLE GUIDE』様のページによると『奈良法起寺に範をとり飛鳥様式の純木造建築…』とのことで、昔のものとは形が違うようです。

特筆事項として、この塔が最初に建立された時の施主は地元の農民の飯塚惣兵衛という人でした。
当時一般人が三重塔を建立するのは大変珍しいことだったようです(今でも珍しい・・・ですよね?)。

現地の様子

※2019年5月画像差し替え
【案内板】
中野区認定観光資源に認定されています。
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【記念碑】
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在りし日の宝仙寺三重塔

【江戸名勝図会】より
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(この画像は国立国会図書館ウェブサイトより許可を得て転載しております。)
安藤広重作の在りし日の宝仙寺三重塔の絵です。
当時はこの絵のように塔山一帯は杉や檜が繁茂し鬱蒼とした雰囲気だったようです。
また、描かれている大きな石碑・石塔の一部は現存し、宝仙寺境内に移されています。

周辺の駐車場

下記駐車場は『タイムズのB』もしくは『akippa(あきっぱ!)』で予約ができます。
●中央3丁目FLC駐車場【akippaで予約
●中野区中央4丁目自宅駐車場【akippaで予約
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●中野区本町2-9駐車場【akippaで予約
●中野区本町2-9駐車場(バイク専用)【akippaで予約
●パークキース【akippaで予約
●Tino中野坂上駐車場【タイムズのBで予約akippaで予約

周辺のスポット

明王山宝仙寺
塔山庚申塔(石棒様)
白玉稲荷大明神
白玉稲荷神社
中本一稲荷神社
山政醤油醸造所のレンガ塀
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桃園緑道の”お伽話通り”
「神田川」歌碑
布袋尊石像

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布袋尊石像

お題目石

山政醤油醸造所のレンガ塀

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歴史

yamamasa5建造は、明治32(1899)年と推定されます。中野での初期洋風レンガ構造物と言われている浅田銀行本店を手掛けた中野在住の棟梁と弟子たちによって、 醸造所の蔵とともに築かれました。石灰、海草のつのまた、砂などで固める日本の伝統的なしっくい壁の技術とフランス積みといわれるレンガ積み工法で造られ ています。

当時、レンガ塀の築かれた青梅街道沿いは、中野の商工業の中心地として賑わっていました。また、みそ・醤油の醸造は、そば粉製造とともに中野の代表的な地場産業でした。

現地の様子

yamamasa1全体
奥の兵の向こう側は宝仙寺の敷地です。

yamamasa2yamamasa3yamamasa4非常にきれいに保存されています。

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塔山庚申塔(石棒様)

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歴史

元々の破壊される前の庚申塔には『宝永五戊子十月吉日』と刻まれていたそうです。
宝永五とは宝永5年のことで1708年ですので、江戸時代中期に作られたようです。戊子(つちのえね・ぼし)は干支の一つです。

奉られた場所は過去に数回は替わっているようで、戦前は現在の場所から南に70mほどの所にあったようです。
庚申塔は街道沿いに奉られ、特に街道が交わる所に奉られることが多いので、昔は山手通りの旧道にあたる道と成木・青梅街道の旧道はその辺りにあったのだと思われます。(要調査)
近くには宝仙寺の飛び地の塔山公園と呼ばれる広場があり(もともとはこの一帯も宝仙寺の境内だに含まれていたという史料もあります)三重塔がありました(もしかしたら近くではなくその敷地内に奉られていたかもしれない)。塔山という地名はそこからきています。今この公園の敷地は中野区立第十中学校になっています。

昭和20年の太平洋戦争時の爆撃で、三重塔とともに破壊されてしまいましたが、戦後に地元の人々が崩れ落ちた石片を集めてセメントで固め改めて奉り、その時に今の第十中学校の脇に移設しお堂を建てました。この修復により石の棒のような形になったことから地域の方々からは「石棒さま」と呼ばれています。
地域の方々からは大変愛され大切にされているようで、いつも綺麗に掃除されおりお供え物が絶えません。

戦前の中野町史よると、戦前の元々の姿は彫像は青面金剛(しょうめんこんごう)、笠付円筒型で『宝永五戊子十月吉日 奉供養庚申講為二世安楽』と刻まれいたそうです。

現地の様子

【お堂の内部】
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非常にきれいに保たれています。
ご近所の方々から大変愛され大切にされているようです。

【庚申塔】
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ボロボロにされたものを修復した跡がわかります。空襲がどれだけ凄まじかったのかが伝わってきます。

周辺の駐車場

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周辺のスポット

宝仙寺三重塔跡
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布袋尊石像
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